もういいよ

母からのLINE「もういいよ」を見て、一瞬、見放されたと思った。

 

少し考えればすぐに自分のネガティブさに呆れた。

 

実際は、

母「すぐお風呂入る?」

私「うん」

母「もういいよ」

という流れ。

 

前の文脈をすっかり忘れて突き放されたと思ってしまうほど、今の私は精神的に参っている。

 

仕事では毎日無力さを痛感するばかり。残業続きで疲れは取れず、友達とも会えない。

 

やっと貰えた連休も友達とは予定が合わないから、仕方なく一人旅でもするかと思ったらお国から「旅行禁止令」。

無駄に生真面目な私は、しっかり一人旅の予定を取り下げた。

 

仕事のために生きているわけじゃない。

と、断言できるような職種でもない。

 

仕事中心の生活を選んだにしては、仕事で得られるものが今のところ少なすぎる。

もう少しの辛抱かもしれない。もう少し頑張って積み重ねていけば楽しくなるかもしれない。

でもそれにしたって今がどうしても辛い。

 

夏。

 

私は夏になるとよく死にたくなる。

前世は大坂夏の陣で死んだと思っているけど、それと何か関係があるのかもしれない。

 

夏が来るのが人一倍怖い。暑さにやられて朦朧としたときの自分が何をしでかすか分からなくて怖い。夏の自分のことが誰よりも信用できない。

 

心を癒す一人旅もさせてもらえないなんて。

 

誰か私に生きがいをください。

オリンピックと、何にもできない休み以外で。

 

青春篇[完]

又吉直樹さん著『劇場』を読んで、自分の中に起こり始めた変化を好意的に受け入れようと思った。

変わってしまってごめんと、沙希ちゃんが永田にそう言った気持ちがよく分かる。特にこの数ヶ月間は、つい昨日まで付き合っていた彼に対してずっと申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 

大学1年の冬に私たちはお付き合いを始めた。私が好きになって、必死になって追いかけて、ようやく実った恋だった。

 

こんなに好きになった人は初めてで、付き合って2年はずっと浮き足立っていた。触れたいときに触れて、無邪気に束縛し合って、嘘のない2人だけの世界を大切に育てた。

これ以上ないほど幸福な関係をじっくり築いて、私の世界は見違えるように広がり、輝いた。彼と恋人でいた時間は、ずっと美しい景色ばかりを見ていた気がする。

 

3年目に突入した辺りから、環境が変わり始めた。彼が社会人になり、私も就活を終えて、お互いが自分のための未来を見据え始めた。

変わらず大切なのに、次第にこれまでと同じように一緒にいられなくなっていた。大切にする方法を変えなくてはいけなくなった。

 

子供みたいな恋愛が楽しかった。幸せな夢を見ているような、手放しに浮かれていられる時間を愛していた。生活や夢は二の次でよかった。

変化の最中で、いつも歩くときには手を繋いでいたのが恥ずかしいと思うようになった。気づいたら2人だけの世界が崩壊して、生活や夢が侵略し、好きという気持ちだけで息をすることができなくなった。

 

彼は私の世界を広げた。

くだらないギャグにゲラゲラ笑うようになったし、人前で平気で泣けるようになったし、思ったことをそのまま声に出してみるようになったし、隠していた家族の話を人に打ち明けられるようになった。

マフィアの映画やフィルムカメラ、少年漫画、競馬場、ロラン・バルトQueenSting...etc.これまで触れることのなかった、たくさんの素晴らしい文化や音楽に出会わせてくれた。

 

青春だった。

嫉妬して怒ったり、不安で泣いたり、子供っぽい私のことを甘やかして、間違えそうになれば見過ごさずに向き合ってくれた。

人に対してこんなにも感情を爆発させる自分に驚いた。初めて出会う自分に戸惑いながら、正しく愛する方法を模索したけど、いつも失敗ばかりだった。

少し無理して背伸びした旅行も、ファミレスの食事も、ネタ切れのプレゼントも、散らかっていてくしゃみが止まらない彼の部屋も、全部が愛おしい青春だった。

 

手を繋げなくなった頃、2人の歴史を懐古することが増えた。

振り返るとき、楽しかったことも辛かったことも、かつての2人を他人のように思い浮かべる自分に気づいた瞬間、あの時の幸せそうな2人が、今はもう手を繋いでいないことがたまらなく切なくて泣いた。

 

これからもっと大人になりたいと思う今の私と、自分を大人だと信じ大人の恋愛をしていると思い込んでいたかつての私は、どちらも彼のことを愛している。だけど今の私は、かつての眩しい日々を再現することはできない。

 

青春は終わっていた。

それで、私が彼との歴史に終止符を打つとき、人生が始まると思った。

生まれてきて良かったと、自分も捨てたもんじゃないと思えるようになったからには、1人でも生きていけるのかどうか試したい。

自分の、自分による、自分のための人生を始めてみたい。それで、及第点の大人になれたら、また彼と一緒になりたい。

彼は私をスタートラインに立たせてくれた。けどスタートラインに立ったことで、青春を卒業しなくてはいけないという焦りが芽生えた。

 

またいつか一緒になりたいとは到底言えなかった。またいつかなんて言ってしまえば説明が楽になるけど、彼の時間をいたずらに奪うようなずるいことはできない。

思わせぶりな態度でこっそり手綱を持ち、曖昧な関係に甘えて安心しているようでは、何の意味もないし傷つけるだけだと思った。

 

変わってしまってごめんも言わなかった。私には喜ばしい変化だったし、何より彼との青春の賜物だから、否定するようなことは口にしたくなかった。

 

こうして私のはじめての大恋愛は幕を閉じた。

別れ際、彼は、勝手に泣きじゃくる私に「最後に楽しそうな顔見れて嬉しかったよ」と笑いながら、目を赤くしながらほっぺを掴んできた。

どこまでも好きだなと思った。最後まで彼の方が一枚上手で、私は泣くことすら我慢できない子供だと思わされた。

 

早く、早く、辿り着きたい。

今度は青春ではなく、人生を共に歩めるように。例えば変化に変化が重なって、どちらかが、あるいは両方が他の人と結ばれても、彼との青春を堂々と抱きしめて生きたい。

曇天に相応しい休日に考えたことの全て

 今日の最大の目的は下着を新調することだった。

 もう2年余り、新しい下着を買っていない。それが恥ずかしいとも後ろめたいとも思わなかったけど、着古した下着が幅を利かせるような抽斗にうんざりして、昨日ついにいらない紙袋へ4セット詰め込んで捨てた。中にはもう何年か数えたくないくらい着たものや、彼氏の家へ急遽泊まるためにユニクロで拵えたものもあったけど、まるで思い入れがひとつもないみたいに捨てることができて安心した。

 

 フリフリなブラジャーは金輪際買わないと決心して、ここ2週間くらいシンプルな下着ブランドを調べていた。ブラジャーで自分のテンションを上げようとは思いもしないが、フリルのついた華やかなブラジャーが自分の機嫌を損なうことは間違いなかった。

 シンプルなブランドには、オーガニックを謳ったような敷居の高いものが多くて、私にはまだ手が届かない価格の下着ばかり勧められて困った。結局、これまでもよくお世話になっていたウンナナクールで買うと決めた。ウンナナクールはよその下着ブランドとは違って華やかすぎないから、周りにもファンが多い。自分と同じように、黒い水玉模様のジップをお泊りのときに使う友達を見た時は感動した。

 

 午後、お目当てのブラジャーを買ってカフェに入った。アイスコーヒーを買って席に着くと、隣の二人席にはおばさまが2人。又吉直樹さんの『劇場』を読んでいたので何を話しているのか特に気にならなかったけど、笑い声はなく、何か議論している様子で、なんだかこっちが息苦しくなった。

 途中でバナナケーキを買ったら、お飲み物は大丈夫ですかと聞かれて少し恥ずかしくなった。まだアイスコーヒーは半分も残っている。

 

 気づいたら隣の席は若めの女性2人に代わっていた。

 『劇場』を読んでいる途中で、2人が芸人さんの話をしていると分かった。空気階段ロングコートダディという単語が聞こえてきたからだ。どうやらジャニーズも好きなようで、趣味が合うと思ったけど、「ガチ恋アカ」や「YouTubeライブ配信を限定公開」というフレーズも聞こえてきて、私とは違う正義を持っている人だなと思った。どういう人なんだろうと思ってちらと見てみたら、思ったより若くなくて、ひとりは髪色がピンクだったので安堵した。

 そこで、バナナケーキの外側のクッキーにほんのり塩っけがあることに気がついて、一層おいしく感じられた。

 再び耳をそばだててみると、もう2人は趣味の話をやめていて、私の知らない人の話をしていたので、ようやく心置きなく『劇場』を読むことにした。

 

 しばらくして2人が帰り支度を始めた。「そろそろ帰ろうか」なんて冷めるようなやりとりもなく帰れる関係が少し、いやかなり羨ましかった。

 帰りがけに2人は、Creepy NutsのMVにかが屋が出ている話をしていた。やっぱり私と同じ類いのミーハーなのだと思ったけど、「一緒に売れてほしいわ」と言ったので、カフェで隣り合うだけの知らない人でよかったと思った。そんなことばかり一方的に思うから、今こうしてわざわざカフェでひとり本を読む休日を送っているんだなと我ながら呆れた。

 

 隣の客をたったひとりで2組も見送ると決まって申し訳なくなる。

    溶けた氷に薄められたコーヒーの最後をズズズと吸って、そんなシーンが『劇場』にもあったな、なんて考えながら私も席を立った。まだ『劇場』は半分も残っている。

 17時半、外を出たらまだ明るくてがっかりした。できればたくさん歩いてから電車に乗りたいと思って、本当は来たときと同じルートで帰るのは嫌いだけど、背に腹は代えられないと思って来たときに降りた駅まで歩くことにした。

 

 歩きながら、今日も余計なことばかり考えた。

 私は散歩好きの割に、道草だとか回り道だとか思わぬ出会いみたいなものは不得意だ。しっかり地図で最短ルートを調べてそれ通りに歩こうとする自分にうんざりしてしまう。でもそうする他ないのだ。効率よく歩くことが好きだし、何より私にはほんの少しも土地勘がない。何度も来てる場所でも平気で迷ってしまう。そもそもあまり道や建物の配置を覚えようとしていない。ある種の現代病なのかもしれない。

 

 

 最寄り駅に着いたとき、今日は櫻坂46の「なぜ、恋をしてこなかったんだろう?」を聴こうと思った。恋の素晴らしさを喜ぶ歌に、彼氏からLINEの返事がないことを思い出した。

 実のところ電車に乗る前も思い出していたけど、その時はむしろそれがありがたいとすら感じていた。私は、大切にされずにひとりで悲劇のヒロイン面をしているときが最も生き生きしている自分に気づき始めている。その証拠に、そういう時ほど周囲に「最近可愛くなったね」と言われてしまうのだ。彼氏に限らず、人から大切にされると煙たくなるのは幼少期からだ。

 

 それなのに、最寄り駅からの帰路で思い出したら、途端に悲しくなって泣きそうになった。彼氏からの返事がないことそれ自体ではなく、返事がなくて安心してしまったさっきの自分が、たまらなくかわいそうに思えた。これだって悲劇のヒロイン面をしていたいだけなのかもしれないけど、とにかく悲しくなった。

 

 歩きながら泣く人は変だけど、地元でなら構わないという感覚が自分の中に確立されていると気づいた。だって前にもこのあたりで泣いた気がするし、などと考えていたら、前方から、違和感のある自転車が横切ってきた。運転しているおばさんは負傷した腕を吊るための包帯を首から下げており、負傷しているはずの腕はしっかりと自転車のハンドルを握っていた。おばさんのことが心配になりながらも、なんだかその元気さがおかしく思えて、視界を歪ませた涙は流れることなくあっさり引っ込んでしまった。

 ひとまずは、今日歩きたかった理由が分かってよかったと思った。

歩く

休日はあまり人と会いたくない私でも、さすがにほとんど毎日家に一人でいると、人恋しくなるらしい。

 

土曜の昼下がり、誕生日の友達におめでとうと連絡したついでに、明日暇だったら一緒にランチでもどうか、と誘った。

友達は喜んで誘いに乗ってくれたうえ、お洒落なお店まで提案してくれて、とんとん拍子で人と会う約束ができたことに少しびっくりした。

 

人と会うときは大概、何週間も前から約束する。当日は朝から緊張して、外を出るのに気後れしてしまい、結果遅刻する。

 

でも、今回は全く緊張することもなく、外出直前の気後れもなく、おかげで遅刻もしなかった。

前日に約束を取り付けたのが功を奏したのだろうか。

もしくは人と会わなすぎて、人と会うということの何たるかを忘れてしまったのかもしれない。

 

その彼女と会うのは2年半ぶりだった。待ち合わせてみて初めて、久々の再会だと気付かされる。

ランチをした後は、駅の近くのカフェでお茶をした。12時から15時半までの間、空白の2年半のことを話したり、直近で各々がハマっているコンテンツを勧め合ったりした。

 

楽しかったし、誘ってよかったと心の底から思った。心残りといえば、昨日誕生日の彼女が私に就職祝いのプレゼントをくれたのに、私のほうは何も用意出来なかったことくらい。

 

夕方用事があるらしい彼女を「水族館に寄ってから帰るね」と言って見送り、水族館に向かったら休業中だった。

そりゃそうか、と思った。

 

特に買いたいものはないけど、ウインドウショッピングでもしようと思ってふらついた。

でも、服をじっくり見るような気力はなかったようで、一向にお店の中には入らずただ宛てもなく施設の中を歩き回った。

 

帰りたくないというよりも、すぐには電車に乗りたくない自分の気持ちに気がついて、二駅分歩くのを思いついた。

地図で調べると、徒歩35分の距離。

ちょうどいいと思った。

 

外に出ようとして日の光を少し浴びたとき、どうせ歩くならお供に飲み物が欲しいと思って、

スタバのあるレストランフロアまでエスカレーターで登ろうとしたら、

イヤホンから椎名林檎の「おとなの掟」が流れてきた。

6階に着く頃には、スタバで何か買うような気分ではなくなってしまった。

晴れ空の下、チェーン店の甘ったるいドリンクを飲みながら歩くような、そんな気分ではなくなってしまって、道中のコンビニで何か買う方がマシだろうと考えた。

 

結局、施設を出てすぐのところにあるセブンイレブンで、初めて見るチョコレートドリンクを買ったけど、全然美味しくなくて少し後悔した。

ただしその後悔は、決してスタバで飲み物を買わなかったことではなくて、セブンイレブンに寄ったことと、チョコレートドリンクという一か八かの選択であるということは特筆しておきたい。

 

歩きながら、さっき友達から発せられた言葉のひとつひとつを分析して彼女の意図を自分勝手に探ったり、

自分は自分が思っている以上に人より考えすぎてるかもしれないと恐怖したり、

自分の存在を喜ばれることや、自身を求められることに不快感を覚えてしまう自分に嫌気がさしたりした。

 

二駅分歩いたら、足は少し疲れたけど、汗はかいていないのが不思議だった。

 

駅のホームで、「ヘルスケア」を開いて歩行データを眺めたら、歩幅とか歩行非対称性とか、歩数以外にもあらゆる項目があることを知った。

平均値を調べて自分の数字と見比べたところ、私は歩くのが早いということが分かった。

母や弟によく「歩くのが早すぎる」と笑われるから腑に落ちた。

それから、成功者には早歩きの人が多いことと、早歩きは健康に繋がるという研究結果が存在するのを知って嬉しくなったりした。

 

最寄り駅に着くと、傘を借りるサービスを使っている女性がいて、しまったと思った。

けど、私はそこで傘を借りるのが少し恥ずかしいしかなり面倒だったので、素通りして改札を出た。

電車に乗る前とは打って変わって辺りは薄暗く沈んでいて、屋根の下で雨空を眺めている人たちや、上着を頭上に掲げて走る人たちが見えた。

私が傘を忘れて家まで走る日は数知れず、こんなに傘なし仲間が多いのは初めてのように感じた。

 

建物の屋根や木々の下を選びながら小走りで帰った。地面が乾いているところを踏むように走った。

 

さっきたくさん歩いたから、あんまり速くは走れなかった。

さっきたくさん歩いていなければ、雨に濡れることなく帰れただろうなと思った。

 

でも実のところ、歩き出す前に天気予報はチェックしていて、雨が降るのを知っていた。

それでも歩きたかったし、私が歩いて後悔しないために雨が降らないのをどこか期待していた。

 

結果として雨に降られてしまったものの、少しも後悔しなかったので、歩いた時間を逆算することはしなかった。

 

ひとりで1日を過ごした私だったら、35分前の景色を想像してただろうな、とか考えていたら、雨が急に強まった。

一粒一粒が大きくなり、木々の下の乾いた地面も周りと同化して黒く染まっていった。

 

一瞬建物の下で雨宿りしたけど、雨がしばらく弱まらないことも知っていたので、すぐにまた走り出した。

 

雨が強まってからは雨以外のことを考えなかったからか、あっという間に家に着いた。

タオルで身体を拭いて、手を洗って、自分の部屋に直行する。

両親が買ってくれたばかりのゲーミングチェアに座った瞬間、どっと汗が吹き出した。

 

身体が、ようやく人と会うということの何たるかを思い出したんだと思った。

エレベーターのカップル

新宿のルミネ2のエレベーターに決して若くはないカップルと同乗した。

2人には私のことが見えていないのか、エレベーターのドアが閉まると熱いキッスを何度も、何度も繰り返す。

存在しててどうもすいません。居心地悪いのは自分のせいです。

 

私のほうも2人のことが見えていないテイでいようと思い、おもむろにスマホを取り出すけど、逆に不自然だったか?とすぐに後悔。

これだと私がTwitterに「ルミネのエレベーターで一緒になったカップルが熱烈KISSなう」とか呟いてると思わせるんじゃないだろうか?と。

 

そんな余計な心配はかけたくないなと思い、通知と時間を確認しただけですよ〜感を出しつつ数秒でスマホをしまった。

 

私より先に、カップルは降りた。最後までお互いのことしか見えていないようだった。

 

私が他者に向ける大抵の心配は杞憂だ。人目を気にしない2人のことが心底羨ましいと思った。決して嫌味ではなく。